ホリデイ



短い廊下の突き当たりにある扉を開くと、そこにあるのはやはり代わり映えのない、見慣れた風景。
気分が変わると物事が違って見える、などというのはやっぱり嘘だったらしい。
お世辞にも元気とは言えないあるじ――僕だ――をその中に迎えても、部屋は全くもって無関心な表情を決め込んでいるだけだった。
「…はぁ〜〜……」
つい零れてしまう溜息。腰掛けた椅子のちょうど正面には、机と、そしてその端に置かれた鉢植えがある。
室内に置くには不釣り合いな感もあるその大ぶりな鉢植えには、今は何も植えられていない。黒い土が入っているだけだ。
――そうだね……僕が枯らしたんだよね………
今更ながらにその事実を確認し、また一段と憂鬱になってくる。
季節外れながら、わざわざ苗から育てた花。大事にしていたつもりだった。
それは……あの人がくれたモノだったから…。
でも、数日前に突然元気をなくし、枯れてしまった。
根が駄目になったのなら、たぶん水を遣り過ぎたんじゃないかと、よく世話になる花屋の人は言っていた。
そのように言われてみれば、自分はともすれば雨の日にも水を遣っていたかもしれない。
報われない努力。
運命、時の運などなど、呼び方はたくさんあるにせよ、そういったものが絡んでくれば、人間は途端に弱くなってしまうものらしい。
認めたくはなくても、やっぱり皆が平等というわけにはいかないのだろうか?
――……でもさ…イヤだよ、そんなの………
我儘なのかもしれないし、自惚れているだけかもしれない。それでも、そんな思いに身を任せずには居られなかった。
どうして、世界はなかなかうまくいかないようにできているのだろう? どうして、自分はうまくいかないのだろう?
……だいたい、そんなもんなんだよ…。早く大人になれって…
――………ヤダ……
どこか遠くから聞こえてきた声に、辛うじて答えを返す。
もしかしたら、自分自身だってそんなことは分かっているのかもしれない。だが、まだそれを肯定したくはなかった。
――……「大人」には、なりたくない………まだもう少し…「子供」でいてもいいじゃないか……
何も失敗しない、花も枯れない。そんな世界が、人生があったらどんなにいいだろう……。
でも……そんなモノが存在することはないのだ……。
――…もう寝よう……。
出口の見えない自問自答を机の上に置き去りにして、僕はゆっくり椅子から立ち上がった。

感傷と回想の間の、僅かな時間。
その中で一瞬、意識を手放しただけのつもりだったのに、いつの間にか吸い込んだ空気は朝の匂いを帯びていた。
また……一日が始まる。
僅かに目を開くと、窓の外には暗い灰色の空。
同時に目に入った時計の短針は真夜中を指していたが、この明るさてこの時間ということはまさかあるまい。
電池でも切れたのだろうか? 時計は………時を刻んではいなかった。
――…僕は………行かなきゃダメ…なのかな……?
望まない世界。それを思い出した途端、やけに色鮮やかだった夢の世界が、どこまでも甘美なものに思えてくる。
あるいは自分がそこにいなくてもいいなら……ずっとこうしていられるのに………。
…何言ってるんだ。そんな事したって意味ないだろう?
――……知らないよ……
気が付くと、再び目を閉じていたらしい。もう一度吸い込む朝の空気。そう、まだ…朝だ……。
あと数分か、十数分か、数十分か……とにかくいつかはここから出ていかなければならない。
ここから立ち上がり、扉を開け、短い廊下を抜け、玄関を開き、世界に出ていかなければならない。
毎日毎日繰り返される単純作業。それらを何も考えることなくこなすことが出来たのなら、どんなに素晴らしいことだろう。
どんなに合理的なことだろう。そんなことが出来る自分なら、世界もきっと受け入れてくれるに違いない……。
…「大人」になれたのなら……どんなに楽なことだろう………。
――……嫌だ! 報われない世界に出ていく位なら、僕は夢の中に居ればいい……
頑なに窓の外の風景から目を反らす。失敗しない世界を求めて、またきつく目を閉じる。
しかし……いつまで経っても夢の世界は見えてこない…。
夢って何だ? 失敗って何だ? 「子供」って、「大人」って何だ?
――答えは……どこに…あるの?
遠くから聞こえていた筈の声は、いつの間にかもうなくなっていた。
報われない世界から、自分を呼ぶ声。報われることを望む、自分を呼ぶ声。
「子供」を呼ぶ「大人」の声。「大人」を呼ぶ「子供」の声。それらは時に等しくぶつかり合い……、そして互いを支え合う。
夢の世界で描いた理想郷がなければ、報われない世界で生きていくことは出来ない………。
報われない世界がなければ、相反する夢の世界へ旅立つことは出来ない………。
――……雨も降らない人生なんて…無い、か………
夢で見た、鮮やかな花、色とりどりの花。
――報われなくても………またやってみよう……かな?
寝返りをうって、きれいな絵が描けたら。
そうしたら、出ていってやってもいいかもしれない……。報われない………この世界に。



 


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