シアトリカル



それは、お祭りをつぎの日ににひかえた夜のこと。
生まれてはじめてやって来たリンドブルムは、飛空挺の上から見たときにもすごく大きかったけれど、
こうして街のなかに入ってしまうとさらに大きいことが分かる。建物が、いくつもいくつも重なって、おわりが見えないんだ。
どこまでも続いていくんじゃないかって思うほどひろいお城と街とをさんざん歩き回って、
ようやく街の宿屋に帰ってきたころには、もう日が暮れてしまいそうだった。
たった今日いちにちで、信じられないくらいいろいろなことがあったよ。
リンドブルムのことはもちろん、そらも飛んだし、ボク自身が気を失うような魔法の使いかたをしたのもはじめてだった。
それなら、もう動くのも面倒なくらいに疲れているはずなのに………ボクはぜんぜん、眠れない…。

――…どうにでもなる……のかな…?

原因は分かってるんだ。いやだね、考えたくないことばかり、考えちゃいけないことばかり、あたまのなかに残ってるなんて……。
ながい羽根を持ったあいつは、そう言った。物の数ではない、と。
そうして、魔法をはなった。青白いひかり。悪魔の雷。それがとんでもないちからを持っているのが、よく分かった。
ボクとおなじ格好をした、それなのにひとこともしゃべらない、とんがり帽子のひとたち。
そのひとたちが、落ちていく。霧のしたの地面にむかって、どこまでも。
さっきまではあかるいひかりがともっていた瞳のところには、何もうつさない、まっくろな闇があるだけ。
目をそらした瞬間に、失われてしまう『いのち』。 失われてしまった『いのち』。
………でも、あのひとたちって、ほんとうに生きていたの? 『いのち』を持っていたの?
さいごには――あいつに落とされる直前には、ボクのことを守ろうとしてくれたみたいだったけど……
それでもあのひとたちは、けっきょく何もしゃべらなかった。ボクにも、あいつにも、誰にも何も言わなかった。
それって、生きてることになるのかな?
もし、生きていないのなら………あのひとたちが『いのち』をなくしてしまっても……べつに大したことじゃない。
あいつは、そういうことを言っていたのかもしれない。生きていないのなら、死ぬことなんてないと。はじめから死んでいるんだ、と。
そうして落ちていってしまったあのひとたち――あいつは「クロマドウシ」と呼んでいた――は、何も話さなかった。
ひょっとしたら、話せなかったのかもね。でも……ボクは話せる。ひとにことばを伝えられる。
……じゃあ、ボクはあのひとたちとは違うの?
でもたぶん、ボクも間違いなく………「クロマドウシ」なんだよね、きっと。
ボクは…生きてるの……?

じっとしていることに耐えきれなくなって、ボクはベッドから起きあがった。
みんなといっしょにいるあいだなら、ボクの話すことを聞いてくれる人がいれば、ぜんぜん平気だったのに。
こうやってボクひとりになってしまうと、やっぱりいろいろと考えてしまう。
どこかにぎやかなところに行こう。
そう思って、ボクはそっと部屋のとびらをあけた。夜は街に出ないほうがいいと言われていたけど、すこしなら大丈夫なはず……。
階段をおりると、外にいるひとの声が聞こえてくる。それを聞いて、ボクは少しほっとした気持ちになった。
ほんの少しの間でも、このいやな気分を忘れていたい。
ボクはすこしためらってから、宿の入り口のとびらをくぐった。


出てきたのはいいけど、とくにあてもなく、まだ昼のようにあかるい街のなかをうろうろ歩きまわって。
気付いたらボクは、昼間、ジタンに連れてきてもらった劇場街に来ていた。やっぱりここにも、たくさんのひとが来ている。
見てみたいと思ってはいたけどさすがに劇場にはいっていく勇気とお金はなくて、ボクはあたりを見まわした。
引き返そうか、それとも、もうしばらくこのあたりにいようか………。
そんなことを考えながら、行ったり来たりしているひとの動きをぼんやりとながめていると、ふと、あるものが目にとまった。
大通りをはさんでボクのちょうど向こう側、ひとの頭よりすこし上で浮いているのは、まっかな風船。
そのすぐ下に立っているのは………何だろう? 見たことのない、赤と白の服を着て、赤と白のふしぎな顔をしたひと。
どこかの劇場の人かな、とか思ったけど、どうやらそうでもないみたい。
ほかの劇場の前に立っているひとは、歩いているひとたちに大きな声で何かを言っていたりするけれど、そのふしぎな格好のひとは違う。
ただじっと、すこし離れたところでまっかな風船を持って立っているだけで、何もしていなかったんだ。
ボクはそのひとのことが気になって、じっとそのようすを見ていた。
しばらくそうしていると、そのひとはボクのことに気付いたみたいで、通りを横切ってこっちの方へ歩いてきた。
……どうしよう、逃げたほうがいいのかな…。迷っているうちに、そのひとはボクのとなりまでやってきて、腰をかがめた。
「……いらっしゃい、ようこそリンドブルムへ。キミは、この街ははじめてだろう?」
顔全体をゆがめて笑っているような表情。でもそれは、もともと顔に描いてあったみたい。
つくりものの、やっぱりまっかな鼻を突き出してそう言うそのひとには、ボクは正直びっくりした。でも、悪いひとじゃない……と思う。
そのひとのことをじっと見ていて、結局返事をしていなかったボクに、そのひとはつづけて言う。
「今夜、これから、楽しい舞台が始まる。見たくないかい?」
――…楽しい舞台?
「ああ、大丈夫。お金はいらない。おいで、案内してあげよう」
一瞬、知らない人には着いていくな、と言っているジタンの顔を思い出したりもしたけど。
それでも、ボクにはその提案が、とても魅力的なものに聞こえて。
しばらく迷ったけれど、ボクは結局、細い路地のほうへ歩いていくそのひとの背中を追いかけていた。


みぎにひだりに、やたらとたくさんの角を曲がって、そろそろちゃんと帰れるかどうか心配になってきたころに、突然まわりのようすが変わった。
ひらけた野原のようなところ。そこに建っているのはあかい幕を柱で支えたような、大きな即席のテント。
大きいけれどせまいリンドブルムのこんな場所があるなんて想像もできなかったけれど、
そこでは劇場街のようなにぎやかな声も少し遠くから聞こえてきて、なんだか静かな感じがする。
「さぁ、どうぞ。もうすぐ始まるよ」
入り口らしい、垂れ下がった幕を持ち上げながら、そのひとは言った。なかはまっくらだけど、たくさんの人がいるみたい。
ボクは勧められるままにそこに入っていこうとして……そしてそこでようやく、なんか変だな、って思った。
ボクがついてきたあのひと、いったい誰なんだろう…?
そういえば、ここがどこかも分からない………ような気がする…。
「……あの…ホントにいいの…かな…?」
テントの中に入りかけたところで、ボクは後ろにいるふしぎな格好のひとをふりかえって聞いてみた。
幕を持ったまま立っていたそのひとはこちらをのぞきこんで、しばらくじっとボクのことを見てから言う。
「ああ、どうぞ入って。だって…………これはキミに見てもらうためのものなんだからね」
…ボクに……?
言っていることはよく分からなかった。分からなかったけれど………ボクは促されるままに、テントの奥へと歩いていった。
どうしてだろう、そうしたほうがいいような、そんな気がした……っていうのかな?
ボクのことを待っているひとがいるような、ボクのことを知っているひとがいるような、そんな感じ…。

暗い通路をほんの少しだけ歩いて、やがて見えてきた舞台や客席。
満員、という訳ではなかったけれど、ボクのほかにもお客さんはかなり来ているみたい。
今はまだ幕が下りている舞台を真ん中にした客席では、暗い中でたくさんのひとたちが何かをしゃべっていた。
空いていた席にすわってまわりを見てみると、もう眠たそうにしている小さな子から杖をついたおじいさんまで、いろいろなひとがいる。
……みんな、いったい何を見に来たんだろう?
そのようすは劇を見に来たという感じではなかったけれど、でも視線の先にはちゃんとした舞台がある。
誰かに聞いてみようか………そんなことを考えながらじっとしていると、
やがてあちこちでことばを交わしていたひとたちの声でざわめいていた客席が、段々と静かになっていった。
……それを待っていたかのように舞台の幕が開いて、どこからか明るい音楽が聞こえてくる。
ボクがすこし背伸びをしながらそちらを見ると、舞台の中央には………さっきのふしぎな格好のひとが立っている。
やがて音楽が止まって、どこまでも静かになった舞台の上で、そのひとはゆっくりと言った。

「……今宵は我らが劇場へ、ようこそ…。一夜限りの夢を、どうぞお楽しみ下さい………」

大きなつくりものの鼻が、こっちを見たような気がした……。


あるところに、人形をつくってそれを売っていた、ひとりの若い男がいました。
その男の人形づくりの腕はそれはそれは素晴らしいもので、男がつくる人形は、いつもすぐに売れてしまいました。
ある日、いつものように男がつくった人形が、遠くからやってきたお金持ちの家の娘に買われていきました。
はじめのうちは、その娘は男がつくった人形を、とても大事にしていました。
しかし、そのお金持ちの家には他にも素晴らしいものがたくさんあったので、しばらくすると娘はその人形のことを忘れてしまいました。
やがて人形は捨てられてしまい、人形は他のゴミと一緒に燃やされてしまうのを待っていました。
するとその夜、突然、人形のまわりで光がまたたいたかと思うと、人形が自ら動きはじめたのです!
目を覚ました人形はゴミの山から抜け出し、しばらく街を歩きまわって、そして考えました。
自分はどうしてここにいるのだろう? 自分はどこからやって来たのだろう? と。
気が付くとゴミの山に埋もれていた人形は、いままでの自分のことも、自分が捨てられたということさえも知りません。
そのとき、人形はこんな噂を耳にしました。ここから遠く離れた街に、素晴らしい人形をつくる男がいるらしい、というものです。
行くあてのない人形はその噂を聞いて、居ても立ってもいられなくなりました。
きっと、自分をつくったのはその男に違いない、と、人形は考えました。
そして人形は、自分をつくった男のもとを目指して、旅に出ました………。


劇場、といっていた通り、やったのはちょっとしたお話のようなものだった。
でも、それはボクが今まで見たような劇とは、何かちょっと違っていたみたいだった。
主人公の人形をやっていたのは、ボクをここまで連れてきた、あのあかい鼻のひと。
でも、台詞なんかはほとんどない。ときどき思い出したように、ひとことやふたこと入るだけ。
舞台のようすもずいぶん変わっていて、大きなボールに乗ったまま逆立ちをするひとから、
飛びあがって何回転もするひとまで、たくさんのひとがほんとうにいろいろな芸をする。
ときには動物が出てくるようなときもあって、その度にボクたちはおどけた動きをする人形役のあのひとと一緒に笑ったり、
びっくりしたり、ため息をついたり………見ていても何がおこるのか、ぜんぜん分からないんだ。
でもその劇は………そう、とても楽しかったよ…。
さいごの場面、人形がおそいかかってきた魔物をやっつけたところでは、
お客さんはみんな立ち上がって、客席はおおきな拍手に包まれていた。もちろんボクも、精一杯手を叩いた。
いつまでもやまない拍手のなかで、ふしぎな人形は、もういちど旅に出た……。

そして………人形役のあのひとがさいごにもう一度お礼をして幕が下りて、お客さんが帰り始めたころに、ボクはようやく気付いた。
人形。目を覚ました人形。旅に出た人形………?
昼間に出会ったあいつも、同じようなことを言っていた。人形、と…。
人形って…………ボクのこと…?


「やぁ、楽しんでもらえたかな?」
とんでもない勘違いをしているんじゃないかとか、でもボクは少しでもいろいろなことを知りたいとか、
そんなことを考えながらテントのまわりをうろうろと歩きまわって、
お客さんもほとんど帰ったころにボクはようやく、あかい鼻のひとのところへ行ってみた。
テントの入り口のところにいたそのひとはボクに気付いて声をかけてくる。
おもしろおかしく笑った顔はもちろんそのままで、その後ろにあるはずのほんとうの表情はよく分からない。
その顔からすこし目をそらして、ボクは思いきって言ってみた。
「うん………あの……クロマドウシって、聞いたことある…?」
右手を顔のところに持ってきて、そのひとはふと、何かを思い出そうとするようなポーズをした。
黙ったまま流れていく時間。…やっぱり、違うのかもしれない。ボクがそう思い始めたころに、そのひとはゆっくりと言った。
「…気になるかい? キミの……キミ自身のことが」
「知ってるの!?」
ボクはクロマドウシ、そんなことを知っているひとなんて、いままで見たこともない。そのひとが、いま目の前にいる。
何を聞けばいいんだろう? 頭のなかにためこんでいた不安とか疑問とか、
とにかくいろんなことがごっちゃになってしまったボクが何かを言う前に、そのひとは念を押すように答えていた。
「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
 ただこれだけは言えるよ。キミの知らないことを僕は知らないし、僕の知らないことをキミが知ることはない……」
「……え…?」
その言葉の意味はよく分からなかったけれど、少なくとも……何かを教えてくれそうにはないってことだけは分かった。
それでもボクが聞き返してしまったのは、聞き返さずにいられなかったのは、多分、信じたくなかったから……だと思う。
意外なところでようやく見つけた、希望。
ついさっきまではそんなことあるわけないと思っていたのに、いまは、逃げていってしまったそれがたまらなく惜しかった……。
その希望を与えて、そして消してしまったひとは、何も言わない。
心のどこかではもう帰ろうと思っているのに、ボクはつい、言わなくてもいいようなことを言ってしまう。
「…そんな……でも……あの劇は………」
「そう、キミが言う通り、あの『人形』っていうのはキミのことだったのかもしれない。
 でもね、今日の舞台の最後でも、人形はまだ旅の途中だっただろう? その続きは……誰も知らないんだ」
「………」
人形は、ほんとうに自分の作り主を見つけることができたんだろうか?
ボクは、多分見つけられたんだ、って思っていた。なんとなく、そのわけを説明することはできないけれど。
だけどほんとうは、それはどうだか分からない。もしかしたらあの人形の『いのち』も……どこかで消えてしまったのかもしれない。
……じゃあ………
「…じゃあさ……どうして、この劇をボクに見せたの……? ボク……もうよく分からないよ………」
どうしてこの劇は演じられたのだろう。
目の前にいるひとに、それともすがたの見えない作り主に?
何に対してか、それもよく分からないまま、ボクはすこし、怒っていたのかもしれなかった。ずいぶん自分勝手……かもしれないけれど。
あのひとはまた、黙っている。さっきも見た、考えこむようなポーズ。
しばらくのあいだ、遠くから響いてくる誰かの騒ぐ声を聞いてから、あのひとは膝をつき、ボクの顔をのぞき込んで言った。
「…劇、っていうよりはね………キミに見て欲しかったのはむしろ客席の方だよ。みんな、どんな風だった?」
……客席?
「…楽しそうだった………けど……」
「そうだろう? 今夜ここに来た人は、みんな満足そうに帰っていた。あの人形の、長い長い旅のほんの一部を見て、ね……」
旅を見て……。
ボクはあのひとの言おうとしていることが、そのときなんとなく分かったような気がした。
それを確かめてもらいたくて、ボクはもうひとつ、意地悪な質問をする。
「でもそれは………あなたのことを見ていたからじゃないの……?」
こんどは、あのひとはすぐに言葉をくれた。もしかしたら、そう聞かれると思っていたのかもしれない。
「……僕たちのような格好をした者は、道化師、って人に呼ばれてる。みんなの前で、おもしろいことをする人だよ。
 だけどね、おもしろいことをしていても、道化師のことを笑ってくれる人っていうのは、いないんだ。
 僕たちがやっていることがおもしろいから、それを見ている人は笑ってくれる。
 どこかに何か、とても素晴らしいものや珍しいものがあって、僕たちはそれを、ちょっとだけ大げさに伝えているだけなんだよ。
 ………キミがいままでつくった劇、それを見て、笑ってくれる人も、手を叩いてくれる人も、あんなにたくさんいるんだ。そうだね?
 それなら、キミは続きをつくらなくちゃ。それは、僕にはできない。キミにしかできない事なんだよ?」
話しながら、その『道化師』はしろい手袋をした手を片方、差し出してくる。
こっちにむけられたてのひらを見て、ボクはあらかじめそうすることが決まっていたような気がして、そこにかるく触れた。
その途端に、しろく、明るくなっていく夜の世界。あのひとのいるボクの視界。
だんだんと濃くなっていくしろい光の中で、その道化師の声はまだ続いていた。ボクはそれに、耳を傾ける……。
「……伝えることは、僕に任せてさ。
 キミは、キミの思うとおりに劇の続きをつくればいい。
 いつか……旅が終わったそのときには………きっとキミに見せてあげるよ……」
――…うん……
光に満ちていく世界。どこまでも、どこまでも、まっしろな世界。体じゅうの感覚がうすくなっていく。
ボクは目を開けていられなくなって、ひとみを閉じて、それでもまだ世界はまっしろで………


ふと、閉じていた目を開けてみると、そこには劇場街の風景があった。
行ったり来たりするひとたちは誰もが楽しそうな顔をして、いつもとはちがう、夜の街を歩いている。
たった今まで、ボクが見ていたモノ。
――……あれは………夢だったのかな……?
ひょっとしたら、ほんとうにそうだったのかも知れない。
――…まあ、いいか……
夢でも、幻でも、あのひとはきっとどこかで見ていてくれるはずだから……。ボクは行けるところまで行ってみよう……。
一度だけうしろを振り返ってから、ボクは宿に帰る道を歩きはじめた。

 

 


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