天体観測



どこまでも広大な宇宙を旅する、ひとつの孤独な流星。
ただひたすらに時を積み重ねるそれは、自らを見上げる人々の表情を遥かな高みから見返してきた。
希望に絶望、執着に諦観。あるいはもっと単純に、幾千もの喜びや悲しみも、その星は知っている。
これは、星の持つ年月から見ればほんの一瞬の煌きにさえもならない、そんな者たちの物語………


「ねぇ、今夜東の空に、流れ星が見えるんだって! 見に行かない?」
夕暮れにはまだ少々早い、ようやく茜色に染まりだした西の空を見上げながら、あいつの口から飛び出した言葉はそれだった。
まだ高い声は喜びの響きを多分に滲ませ、その表情もどこか遠くを見るように恍惚としている。
私は、期待感を抑えきれないといった様子のその問いかけに、確認のつもりで問いを返した。
「……知ってるよ。何か大人たちが言ってたよね。だけどあんた、それがいつ来るか分かってるの?」
「だから、今夜でしょ?」
「いや、何時ごろかってことよ」
「夜中の2時ごろだって。ねぇ、見に行こうよ〜〜〜」
――…………本当に……分かってるの?
あっけらかんと言ってくれるあいつの表情は、話を始めた頃から何ら変わっていない。
まさか“午前2時”という時間の感覚がない、よく分かっていないということはないだろう。ないと思いたい。
少なくとも……普通は寝ている時間、という程度の認識はあるはずだ。
そしてそのことが分かれば、自分たちのような年端も行かない子供がそう簡単に出歩ける時間ではないとも分かる……筈なのだが……。
「……どうやって…?」
黙りこくっていても仕方がないので、抱いた疑問を率直にぶつけてみる。
「………………」
浮かべた笑顔はそのままに、妙に強張るあいつの表情。やっぱり……何も考えていなかったのかもしれない。
いっそのことそのまま放っておいてやろうかとも思ったが、そういう訳にもいかない。
――……仕方ないわね……
実のところ、自分の好奇心も刺激されなかったといえば嘘になる。数年に一度、正確にやってくる流星。
大人たちにとっては聞き慣れた存在でも、見たことのない自分たちはつい想像力をはたらかせてしまうものだ。
「…今夜は早く寝なさい。大人が寝静まったら、窓かどこかから出れば分からないわよ。……責任は持てないけど」
「……それじゃあ…」
事ある毎にあいつの懇願やら依頼やらを受けては、結局それに乗ってしまっている自分がいた……ように思う。
年齢は自分がひとまわりほど上。幼馴染と言えばこれ以上ないほどの幼馴染だけに、子供ながら頼りにされていたのかもしれない。
「いつも通るフミキリに、午前2時。いいわね?」
「……うん!」
夕焼けと宵の間、交わした秘密の約束。
日が、暮れる。

こっそりと抜け出した家を後にして歩くこと数分。
真夜中という時間を考えれば無謀なことだったが、その時は不安も恐怖も、体験したことのない世界に対する密かな興奮に押し隠されていた。
そして、既に通る電車も絶えたフミキリに、恐らくは自分と似たような表情で、あいつは居た。
「! お〜い! ここだ……」
「静かに! 時間を考えなさい時間を!」
夜の声は遠くまで響く。ごくごく普通に手を振りつつ呼びかけてきたあいつを囁きで制して、私は最後の上り坂を駆け上がる。
「…なんかさぁ……、重たくない?」
確かに重たい。自分が背負ったリュックは妙に膨らんでいた気もするが、あれやこれやと準備していたら、いつの間にかこうなってしまったのだ。
「……いいじゃない。あんたこそ着の身着のままで来たわけ?」
「う〜ん、そうかも……」
しばしの沈黙。あいつが持ってきたらしい、携帯ラジオの音だけが微かに聞こえる。
梅雨が明けたばかりの夜気はもう夏の匂いを含み、空気も澄んでいる。
この辺りはがっかりするほどに何もない田舎だが、天体観測には確かにうってつけだろう。天気の心配もない。
後は………今宵の主役の登場を待つばかり。
「………ホントに来るの?」
今更ながらに、どこからか非常に根本的な疑問が湧き上がってきた。
情報と言っても、言ってしまえば随分と不確かな噂話だけ。まだ時間には早かったが、ふと西の空を見上げる。
「……来るよ、きっと」
根拠のない確信に満ちた、あいつの声。隣を見ると、あいつも既に東の空をじっと見つめていた。
その瞳が、空をも越えた遥か遠くを見ている気がして。
私は再び、今度はそこに腰を下ろして東の空を見つめる。
満天の星空。それだけでも美しい舞台を駆ける流星とは、果たしてどのような意志の為せる業なのだろうか。
あいつは……それを見たいという。あいつにとって、その流星は暗闇に光をもたらす勇者のような存在に映っているのだろう。
その勇者を追って、あいつはどこまで行くつもりなのだろうか? 何を求めるのだろうか?
ならば………自分は?
答えは、まだ見えない。それでも、少なくともあいつは………いずれ何かを追いかけていくような気が……する。
あいつは、そんな瞳をしていた。遠く、遠く……抑えきれないモノの片鱗をのぞかせる、激しい瞳。
――……まぁ、いいか………
流星が本当にやって来なくとも、それでも今日は良しとしよう。あいつの何かを垣間見ることが出来たから。
そんな気分でぼんやりと見上げていた東の空に………ひとつの光が瞬いた。
「…うわぁ……」
流星。しかしやってきたそれは、そんな言葉では不十分なのではいうのかということを思わずにいられなかった。
天空から降り注ぐ、いくつもの光の筋。夜空を無造作に引っ掻いては消していくように、描かれる弧の数々。
乱舞する光は時にその数を増し、ともすれば真昼のように夜空を明るく照らしていく。
大自然の中の、ほんの偶然の為せる光景。それは何よりも力強く………そして美しかった。
「………すごいね……」
圧倒されたように空を見つめていたあいつが、やがて静かに口を開いた。
人間などほんの小さなものなのだと認識せずにはいられない、どこまでも強大な力。
「この流れ星はね、何年かしたら、また戻ってくるんだって……。また、見に来ようよ?」
――……そうね
共に空を見上げたまま、静かな会話を交わす。
数年後も、その次も、そしてその先の果てしない未来でも、あの流星はこの光景を連れてくるのだろうか?
叶うならば………もう一度それを見たいと思った。その気持ちを自分で肯定するように、私はゆっくりと頷いた。

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