第三部


いつの間にか降り始めた雪が、視界を白く染めていく。
純潔の象徴、聖なるものの象徴、その白さを体現する雪。夜の底に沈む街に静かな光をもたらし、浄化していく。
しかしそれは一方で、相容れないものを無へと消し去っていく。塗り潰していく。
純白の対極に位置する色、漆黒。
その体を持つ俺は、確かに神に、世界に嫌われた存在だったのかもしれない。
嫌悪の視線と共に浴びせられる拒絶の言葉。悪魔の使者、災いをもたらすもの。
今まで、数え上げればきりがないほどに投げつけられ、焼き付けられてきた烙印。
それが当然のことだと思っていた。
それが自らの運命なのだと思っていた。
だが、今となってはそんなことはどうでもいいと思えてしまう。
例え、そのような大きな流れの中で自分は生きているのだとしても、俺は俺の思う通りに、ただ走ればいいのだ。
それを教えてくれたひとりのニンゲンがいた。俺を聖なる夜と呼んでくれた人がいた。
そして俺は今、そのニンゲン、『奴』のために走っている。
どこまでも、どこまでも………『奴』の恋人が待つ、ひとつの街を目指して。

――ここか…?
どれくらいの時間が経ったのかも分からないが、幾つ目かの山を抜け、眼下に広がる小さな街を見下ろした時、ふとそう思った。
奇跡など起こるはずもないこの身ではあったが、今は亡き親友が、『奴』がそれを教えてくれたのかもしれない。
小さな街だ。恋人の家まで、あと数キロといったところだろう。
漠然と方向を定めて、俺は再び走り出した。
もうここまで来たのだ、という自信と確信があった。何かに導かれるように、俺は街の中を走り続けた。
夜明けも近い。暗闇の中にも朝の空気を帯び始めた街のそこここには、聖なる朝を迎えようとするニンゲンの姿が見える。
そのうちの一人が何かを口走りながら俺に石を投げつけてきたとき、
俺は始めて自分が、ともすれば歩くことも出来ないほどに傷ついていることに気が付いた。
四肢の感覚は既に失せ、両足は地に触れるたびに痛みを伝えてくる。
それでも銜えた手紙を離す訳にはいかない。まだ……倒れる訳にはいかないのだ…。
本来ならば動かないはずの体を無理矢理動かし、俺は走る。
何故、そうまでする?
――………それが俺の……生まれてきた理由だからだよ…
どこからか聞こえてきた声に、声にならない声でそう答える。
生きる意味など、後で誰かが見出せばいい。
行動の理由など、傍から見ている者が考えればいい。
俺は……俺のやりたいようにやる。そしていつか死ぬ時が来たなら、笑ってこの世を去ってやろう。
言うならば、それが俺の見つけた理由だった。意味だった。

やがて見えてきた、街の外れのごく普通の家。
俺はその庭先に崩れ落ちると、たった一声、短く鳴いた。
どこか遠くから、朝の訪れを告げる鐘の音が聞こえた気がした。
不思議そうにこちらに近寄ってくる足音。途中で俺を見とめたのだろうか、最後は殆ど走るようにして、『奴』の恋人は庭に出てきた。
段々と明るさを取り戻していく世界。光が満ち、積もった雪がいっそう白く輝く。
俺を抱き上げる恋人の手。『奴』と同じ、あたたかい手をしていた。その片手が、俺の銜えていた手紙に伸びる。
俺は決して放すことのなかったそれを、静かに恋人の手へと渡した。
恋人がそれを広げるかすかな音を聞きながら、俺はようやく全身の力を抜いた。
――なぁ………俺、少しはアンタみたいになれたかなぁ……?
恋人の腕に、そして『奴』の腕に抱きかかえられながら。
聖なる夜の夜明けと共に、俺はゆっくりと………目を閉じた。

かくして、ひとつの夜が終わりを告げる。
人々は幾千もの朝を迎え、幾千もの夜を過ごす。
あまりにも短すぎた、ふたりの命の煌き。だがそれはまたひとりの者の心へと受け継がれ、そして永遠の生を得る。
私は忘れない。ひとつのウタを。誰かに何かを伝える、その物語を。


Before

 


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