第五話、光の行方


「このままじゃオーバーヒートですよ!」
「もう少しだ、もう少しだけ頑張ってくれ!」
船内にいても充分に分かる程に熱を帯びてきた周囲の空気に、
全く妙な場所に祠とやらを造ったものだと、フライヤは名も知れぬ先人たちの偉業に畏怖を覚えずにはいられなかった。
未だ活動を続ける火山の内部とは、正に人外の力の賜物としか思えない。
最も、ジタンの話を聞く限りでは、その言葉は比喩ではないとも言い切れないのだが。
この暑さの中でそろそろ顔面を蒼白にしてきた船員の姿を見て、降下を促すジタンに警告を発した。
見知らぬ異世界へと旅立とうにも、それ以前に飛空挺と共に溶岩に焼かれたとあっては洒落にもならない。
「ジタン! これ以上近付くと危険じゃ! 火山の熱でエンジンがもうもたぬぞ!」
「よし……ギリギリまで接近した後、ふたりは祠の入り口に向かってくれ!」
思っていたよりも、祠の入り口は近いようである。
自分の体重が増したような錯覚と共に飛空挺が空中で静止したのを感じ、
甲板に出ると同時に襲いかかってきた猛り狂うような熱気にフライヤは思わず目を細めた。
手すりにもたれながら火口を覗き込んでみると、
数メートルほど下の黒々とした岩の影に隠れるように建つ、やけに直線的な灰白色の門のようなものが見える。
背後に目をやれば、まるでこの火山の炎の色のような焔色の髪を持つ男が、
無愛想な表情をことさらに歪めて甲板に姿を現したところであった。
察するに、またしてもあの尻尾の少年に丸め込まれでもしたのだろうか。
裏の世界では名実共に最強の名を冠するこの拳士も、
口ではあの盗賊――自称、義賊――に勝てぬとはなかなか愉快な話であると内心思いながら、
フライヤは着地点を見据えて慎重にその身を空中に躍らせたのだった。


 場所が場所だけにかなりの暑さを覚悟していたのだが、
門の内部は至って普通であり、そしてどこからか漏れてくる薄紅色の光に満ちていた。
長い間使われていなかった場所特有の淀んだ空気は少し息苦しくもあったが、
熱に掻き乱される周囲の空気とは切り離されたような静けさがそこにはあった。
――いや……
これは忘れ去られた静寂というより、生命あるものを受け付けないある種の静謐さとでも言ったほうが的を射ていそうではある。
祠には入ることが出来たがそれ以上足を動かせずに、フライヤは焔の拳士に向け自らの考えをそのまま口してみた。
「どうじゃサラマンダー。少し、静か過ぎはせぬか?」
「……あの男のことだ。何も起こらないなんて期待したくもないがな」
言いながら、サラマンダーは最近見慣れなかった暗緑色の三叉の爪をその左腕に装備した。
そういえば先ほど飛空挺で何かを捜し回っていたと思ったら、炎を打ち消す水龍の力を持つというこのクロゥを出してきたらしい。
なかなかに、芸が細かい男である。
「行くぞ」
そっけなく言って大股に一歩を踏み出したサラマンダーの、その大きな背中。
その光景に呼び起こされた記憶の欠片が、再びフライヤの片足を一瞬地に縛り付けた。
――そうじゃ……私はずっと…あのお方の背中を追いつづけてきた……


 今までもずっと、そして今でも、自分はあの人の背を見ながら、歩きつづけているのだ。
自分がブルメシアに足を踏み入れたとき、あの人は平凡な兵士の見習いだった。
それからすぐに自分も兵士の真似事を始めた数週間後に、あの人は正規の兵士として
ブルメシア王国軍の一端を担う事となった。なかなかの大物がいるという、先輩兵たちの間の噂とともに。
数ヶ月かかってやっと――それでも普通に比べると早い方だったらしいのだが――自分が一般兵となったときには、
あの人は既に準竜騎士として、本格的な訓練を始めていた。
五十年に一度出るか出ないかの逸材がいるという話は、隣国リンドブルムまで届いたとも言われた。
軍で四苦八苦していた自分が、竜騎士に必要不可欠である『気』を扱う勘の良さを買われ、
その時にはもう軍を辞していたとある退役竜騎士に弟子入りしたのは、
あの人がちょうど戦争中にも数度しか例を見なかった王宮からの召喚を内々に受け、
あと十数年早くこの男が生まれていればと悔やまれながら竜騎士の位を賜った頃のこと。
そしてその一年後、ようやく師からの許しが出、意気揚々と竜騎士団の門戸を叩いた自分を待っていたのは、
異例の措置として提示された現役、しかも一説では最強とも言われる竜騎士との手合わせであった。
常に自分の目標であり、同時に憧れでもあったあの人……フラットレイと槍を交えて得たものは、
団に所属する竜騎士たちからの畏怖と羨望の混ざった眼差し、
そして何より、やっと追いついたという密かな喜びを、打ち砕いた片刃の槍の一撃だった。
いつしか絶対の自信を持つようになった槍術と『気』の扱いも、あの人には敵わなかったのである。
現役の竜騎士に比べても余りあるという王直々の言葉と共に与えられた正式な竜騎士の位も、
その時の自分にとってはどうでも良かった。あの人と同じ位置に立てたという実感も沸かなかった。
未だ自分とあの人との間にある距離に、気付いてしまったから……
それからも自分は鍛錬に鍛錬を重ねたつもりだ。
だが、まるでそれに呼応するかのように、フラットレイもその槍に磨きをかけ、
そしていつまでもその力に追いつくことは叶わないまま、残酷な別れは唐突に訪れたのだった。
今も、今でも諦めきれずに、その背を追う自分がいる。 この終わりのない旅路は、一体何処まで、何時まで続くのだろう。
終らない旅路に、苦痛を覚えることはない。追いつづける、思いつづける辛さには、もう慣れてしまった。
だが、その上で小さな、しかし消えることのない恐怖の刃か、自分の中にあることにも気付いている。
もし、この旅路が無に帰するものだとしたら?
もし、その追いかけた背中が忽然と消え失せてしまったら?
……もし、追いかける自分の存在が………忘れ去られてしまったら?
あてのない旅路の果てを目指しながら、目的地に着いてしまう、旅が終ってしまうことを恐れる自分。
この旅路の向こうに、自分は何を見るのだろう。何を思うのだろう。
………この旅路を、自分は本当に歩きつづけたいのだろうか………。


「………い。おい、フライヤ」
「…ああ、すまぬ。何ぞ、妙なものでもあったか?」
夢想に浸りながら石造りの通路を進むうち、いつのまにかかなり奥まで来ていたらしい。
振り返ってみても、微妙に湾曲した通路に阻まれて、もう入り口は見えなくなっていた。
「嫌な匂いがする。そろそろ本気で何かある筈だ」
「……そうじゃな」
言われてみれば、空気が先ほどにも増して痛いほどに静かだ。
特に根拠があったわけではないが、漠然と警告に従わない侵入者に対する嵐の前の静けさ、
といったイメージがフライヤの脳裏を過ぎった。
今度は何かの予感と共に後方を振り返ってみると、目に痛いほどの紅の光が石造りの通路を満たしていた。
遠くで何かが崩れる音。
それを聞くのとほぼ同時、足元に規則正しく並べられていた巨岩の一つが、音もなく落下した。
通路のさらに下……真紅の溶岩の中へと。
「罠じゃ! 走れ!!」
連鎖的に進む通路の崩壊に背を向けて、フライヤは大きく跳躍しながら叫んだ。


 焦ったといえばかなり焦ったが、駆け出してみれば通路の崩壊はそれほど迅速なものでもなく、
開けた場所に出るまでの距離もわずか数分のものであった。
イプセンの古城といいこの場所といい、どうもテラとやらに関わる人々は罠を好むようではあるのだが、
今回は妙に詰めが甘いものだと思いながら、フライヤは祠の最奥へと足を踏み入れた。
「案外、楽な行程であったな……。おぬしにはちと物足りなかったのではないか?」
「……」
「後はここに鏡を置けば……」
広間のような空間の中央に造られた祭壇らしきものの中央には、ジタンから託された鏡にぴたりと合うであろう窪みがあった。
数段の階段を上り、手に持つ鏡を思わずまじまじと眺める。
世界各地に及ぶ封印の仕掛けは大掛かりだというのに、その鍵が鏡とは風流な………
「!? 下がれ、フライヤ!」
「!?」
幾分殺気が混在していたようなサラマンダーの叫びを頭が理解する前に、体は自然と先ほど上った階段を一番下まで飛び降りていた。
急速に後方へと下がっていく視界の中で見えたものは、
一瞬前まで自分がいた場所を左上から薙いだ、身の丈ほどもあろうかという反り返った刀の軌跡だった。
――まさか!
危うく首と胴体が別々になるところだったというので半分、
嫌な予感がまたひとつ現実になったのが半分で冷や汗が自分の背を伝うのを感じながら、槍の穂先を祭壇の方へと突きつける。
サラマンダーも隣で体を低く沈めていた。
「クジャの言った通りであったな……。ネズミ共が迷い込んで来るであろうと……」
姿を現した明らかに人にあらざる者が浮かべた、強者が弱者に向ける愉悦の笑みを見て、
フライヤは今更ながらにどうでも良いことに気付いた。罠は、侵入者を殲滅するためにあったのではない。
侵入者を此処に誘い込み、なおかつ退路を断つためのものだったのだ。


「おもしろい……だが後悔させてやろうぞ、そのような口をきいたことを!」
言葉と共に左上から振り下ろされた蛮刀を、ほとんど勘で槍に触れさせて逸らす。
重い。そしてそれ以上に、異常なまでに速い。
通常ならば相手の手元へ引き返される筈の剣先が、際どくフライヤの目の前をかすめていった。銀髪が数本、空に舞う。
「やはりな」
――………悟られたか
敵の歪んだ笑みを見て、思わず小さく舌打ちを洩らす。
最初の一撃もそうであったが、向こうから見れば他より妙に反応の遅れる部位にこれほどの使い手が気付かないはずもなかった。
自らマリリスと名乗った大蛇は、執拗にフライヤの左頭部を狙ってきた。
――私は……まだ完璧にはなれないのじゃ………
引き伸ばされた一瞬の中で、上体を大きく崩して刀の軌道上から逃れたまでは良かった。
しかし、相手の武器は両手にある。
脳天に振り下ろされる銀光を本能的に予見し、
間合いをとろうと体を転がしかけたフライヤを遮ったのは、爪と刃とがぶつかる澄んだ音だった。
「小癪な! ネズミ共が何匹集まろうと……」
科白を大きく旋回させた槍で遮り、フライヤとサラマンダーは大きく間合いを取った。
祭壇を守るような形で陣取るマリリスとの距離が、一気に開く。
「どうした? 大口を叩いておきながら、防戦一方ではないか」
「ぬかしてろ」
余裕たっぷりといった口調のマリリスに、素っ気無く返すサラマンダー。
技量は伯仲していると、フライヤは素直に思った。だが自分には……枷がある。
際どい均衡を保ちながら、慎重に相手の出方を伺う。無理に先手を取っても危険かもしれない。
同じく少しずつ位置を変えていたサラマンダーから、小さく耳打ちをされたのはその時だった。
「……左半身を前にして構えるのはよせ。見てるだけで危なっかしい」


 不意に訪れた沈黙に最初に耐え切れなくなったのは、フライヤであった。
「………気付いて……おったのじゃな……」
「見てれば分かる。無理に距離を詰めるな」
沈痛な面持ちで絞り出した声に返ってくる言葉も、どこまでも素っ気無い。
会話は終わりだと無言のうちに告げるサラマンダーが腕の一振りで円月輪を放つのを見ながら、
フライヤは目の前の敵に集中しようと高く跳び上がった。
最高点から長大な槍を放つと同時に、サラマンダーの爪がマリリスの刀を力任せに弾く。
「っ!……おのれぇっ!!」
直撃はせずともその左腕に浅くはない傷をつくった槍とフライヤを憎々しげに睨み付け、マリリスが悪態をつく。
手応えがあった槍を素早く引き戻し、フライヤはまた広く間合いをとった。
間髪入れずサラマンダーの爪が胴を薙ぎ、生々しく鮮血が飛び散る。
こちらとて若干手傷を負っているものの、もう勝敗は決したようなものだ。
しかしその猶予が、最後の一撃を許す事となる。
「喰らえ、剣の雨!」
マリリスは、魔物ではなかった。
自らがそう言った通り、守護者なのである。全ては、背後にあるもののために。
故に、その命を厭うということを知らない。知ることが出来ない。
武器を手放すという最終的な手段が全くの躊躇いもなく出されたことに、
日頃、生物的な恐怖から傷を負うと能動的な防御に出る魔物たちと戦い慣れていたフライヤは、一瞬反応を遅らせることとなった。
――こっちか!?
回転しながら飛来する二本の刀は、剣戟に勝るとも劣らない速度でこちらに向かってくる。
反射的に気を乗せた一撃をぶつけるも、
甲高い音を立てて弾かれた刀はまるで何かの意志が働いているかのように、フライヤの手から槍をも奪っていった。
そして、当然のごとく左側から襲いかかってきた蛮刀に対してフライヤが出来たのは、
無駄と知りながらも後方に体を傾がせ、すぐ先のきな臭い未来にその身を硬くすることだけだった。
だが、利き腕を動かせるのは最後かも知れないと、物騒な覚悟をさせてくれた投剣は、今度は鈍い音に絡め取られたように地に落ちた。
実際に刀を地に叩き落したのは、焔色の髪の拳士の左腕に装備された爪であったのだが。
「………終わりだ」
未だ動けないままのフライヤの数歩先でぼそりと戦闘の終了を宣言したサラマンダーが、
静かにしかし確実に敵を屠ったのだった。


「生きてるか?」
「………よく言う………人の心配より自分の心配をせぬか……」
「かすり傷だ」
淡々と言ってのけるサラマンダーの左肩には、正視に耐えないほど鋭く深く抉られた傷があった。
言うまでもなく、飛来する刀を叩き落した際にできた傷であろう。
自分はともかく、この男が普通に武器をぶつけ合っているだけでこれほどの手負いをするとは思えなかった。
それほど出血していないだけ凄惨さは無いが、マリリスは炎を操りその刃に熱を込めていた節がある。
かすめた瞬間に肉が焼け焦げたが故の、やけに非現実的な眺めだった。
もっとも、尋問、もとい拷問にもたびたび使用されるという激痛にも対しても、
サラマンダーは呻き声の一つも洩らさずチャクラをかけただけであったが。
「……左眼、見えないんだな?」
「……」
互いにもう分かりきっていた問いではあったが、フライヤに返せたのは沈黙だけだった。
その場に漂う空気を肯定の意と解釈したらしく、サラマンダーは無常にも会話を続行させる。
「左方向からの打撃にだけ、反応が著しく遅れる。
 何があったか知らないが、一人で全方位を攻めたり守ろうとしたりするのはやめろ。………死ぬぞ」
死ぬ。
その単語をごくごく身近に置いて生きてきたであろう男の言葉は、そのまま背にのしかってくるには充分な重さを持ち合わせていた。
――だがお主は……
「…だがお主は騎士ではなかろう?」
「?」
自らの口から消え入るように出てきた言葉は、歯止めの利かない心の羅列であった。
向かい合っている相手は疑問符を浮かべたが、無論聞こえなかったという訳ではない筈だ。
理解できないといった表情のサラマンダーに、理性を必死に繋ぎ止め言葉を紡ぐ。
結果として出てきたのは、無常にも再びタガの外れた感情の洪水ではあったが。
「私は何かに仕える者を見、そしてそのように……生きてきた。今まで、ずっとじゃな」
「……」
今度は逆に返された沈黙に胸をなでおろしながら、今度こそ感情を押し込めようとする。
そのことに成功したのか、はたまた失敗したのかは分からないまま、祭壇に背を向けフライヤは呟いた。
「力の使い道、と言うておったな。私は、元よりそれが定められた身の上。
 そのような意味では、お主よりは幸せだったのかも知れぬ。
 一人前に誰かの命を背に負えんでなんとする、とな。
 だがその上に築いた道を歩んできたが故に、この半生、無駄にする勇気は私にはないのじゃ…」
――その道の行き着く先は、この自分のいない虚無の闇であるやもしれぬがの……
自己嫌悪の波に呑まれそうになりながら、いつの間にか元の姿を取り戻した通路へと向かう。
もう、自分に交わすことのできる言葉は無い。
そう思ったフライヤの背後から飛んで来たのは、心底呆れたような気配と、がっくりと気の抜けたようなサラマンダーの一言だった。
「何でこうも次から次へと似たようなのが……。そのままじゃあ、いつかジタンみたいになっちまうぞ」
「ジタンじゃと?」
「何でもねえよ」
意外な人物の名前の登場に思わずおうむ返しに訊き返してはみたが、
足を止めたフライヤに対して、もう会話を続けようという意図は無いらしい。
そそくさと自分を追い越していく大きな背中を見るともなしに眺めながら
金糸の少年の姿を脳裏に描き出してはみたが、結局発言の真意を推し量ることは出来なかった。

自分が追うのは自らの理想か、それとも虚無の闇か。
この旅路は、果たして間違いであるのか、そうではないのか。
胸の痛みに耐え思い続けても、忘れ去られてしまうことは、あるのだろうか。
疑問は形を成さないまま、ただ翳りを与えてくるだけだった。


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