第六話、道標


「……俺に生みの親はいない」
まるでそれが遺言となるかもしれないといった深刻さで、ジタンは低くそう呟いた。
翠色の燐光の中に消えていくその背中を眺めながら、サラマンダーはどうしたものかと溜息をひとつつく。
『魂の道』の封印を解き、テラにやって来るまでは良かったものの、
そこからは全く訳の分からないままこの場所に連れてこられ、今は身動きが取れない。
あのジタンが何も言わずに何処かへと行ってしまったあたりにも、何者かの強大な意思が働いているのは明々白々であった。
――…訳分からん奴だな……
ここ数時間、明らかにいつもとは違ったジタンの様子を思い出し、
またしても大きく揺らいだジタンという人物像に、サラマンダーは首を傾げざるを得ない。
出会ったのは数年前、あの時は自分の首に全くお門違いの賞金を懸け、
ようやく再戦の機会を得たかと思えばあっさりと自分を負かした挙句、何を思ったのか戦力になって欲しいなどと言い出し、
つい最近、その真意を量りかねたままに挑んだ勝負は、結局自分が今まで生きてきた世界を根底から覆しただけに終ったのだった。
『それが仲間ってもんだろ?』
あっけらかんと言ってのけたジタンの科白をぼんやりと思い出す。
仲間。仲間……? あの少年にとって、仲間とは一体どのような存在なのだろうか。
アレクサンドリアでも、グルグ火山でもそうだった。守ること。
それがジタンなりの、仲間に向ける行動。仲間であるが故の行為。
ふと、左手を見る。自らが生き残るためだけに、刃を帯びてきたその腕。
この力を、あのジタンのようにその背に負う者のために使うというのならば、
今の自分にそれは難しくないとも思える。力を捧げる対象が、少し違うだけのこと。
ある意味、賞金首になる前はよく請け負っていた傭兵仕事にも似ているかもしれない。
だが、馴れ合い、もとい、小さな黒魔法の使い手や姫君があの盗賊に向ける視線は、そういったものとは何かが違っているような気がする。
『だがお主は騎士ではなかろう?』
脈絡無く記憶の内から浮かんできた、今にも崩れ落ちそうな竜騎士の科白。
あのフライヤが抱え込んだ揺らめきは、分かっていながら間違いを犯しているようなジタンの自己矛盾にも通じているような気がした。
『いつかジタンみたいになっちまうぞ』
あの祠では続けざまに起こった妙な事態に、特に考えもせず出てきた言葉も、今にして思えばなかなか上出来だったのかもしれない。
「サラマンダー!?」
柄にもない懐古は、小さな召喚士のよく響く声によってそこで終わりを告げたのだった。


「行け! 奥だ!!」
叱咤するサラマンダーの声に合わせて、ビビとエーコが鉄格子の向こうに見えた金糸を目指して駆け出す。
形容し難い……と言うより自分たちの理解の範疇を大きく飛び越して存在する感のある城の内部。
目的地に近付くにつれてその数を増やす魔物と爪を交えながら、サラマンダーは隣で同じように槍を構える竜騎士に目をやった。
「竜剣!」
事態が事態だっただけに、ここ数回の戦闘は間髪入れずに武器を叩きつけることが多い。
槍に乗せられた鋭い『気』は巨大な昆虫のような魔物の羽を的確に捉えてはいたのだが、
他の仲間に比べれば見た目は落ち着いているフライヤも気が急いているのか、近くで見れば一撃一撃が少々荒くなっているのが分かった。
ゆっくりと地に落ちてきた魔物の腹に深々と爪を埋め込んで止めを刺し、
既にこちらに背を向けかけていたフライヤの後を追って大きく一歩を踏み出す。

だが、硬く閉ざされていた鉄格子は、よりにもよって目指していた当の本人によって開かれることとなった。

歩くのもやっとといった足取りで牢獄から脱出してきたジタンは、
数メートルと離れていない所に立っているフライヤとサラマンダーの姿にも全く気付かない様子で――実際、気付いていないのだろう――
部屋の対辺に位置する扉を目指す。その表情は何かを睨みつけるように厳しいものだったが、実際数歩に一歩も進んでいなかった。
――………しまった!
そこに襲い掛かる、巨大な影。馬に無理矢理翼をくっつけたような、異形の生物。
あっけに取られていたあまり、敵の気配を読むことを失念していた。
だが、どうしようもない危機感の後に突然やってきたのは、紛れもない違和感だった。
雄叫びを上げる魔物に対し、その体のどこにそんな力が残っていたのかという程の動きで短剣を抜き放ってジタンが飛びかかる。
明らかに軽率な、そして危険な動作で。
「ジタン!?」
「待て! 今は危険だ!!」
「何がじゃ! 死んでしまうぞ!!」
制止を振り切ってジタンの加勢に向かうフライヤも異変に気付いたようだが、
彼女は自らの身の安全よりもジタンの危険を優先したようだった。
そう、身の安全。
フライヤの実力をもってすれば、あれほどの敵、容易いものだろう。
だが、違っていた。
ジタン。
サラマンダーが生き延びるために培った、勘とも言えるもの。
それが、告げている。危険だと。
今のジタンは、目に入るもの全てにその刃を向けかねない。

まるで、自分自身が壊れることを願っているかのように。

何も見えていないかのように敵を斬りつけたジタンが、まともにカウンターで魔法を受ける。
たまらず片膝を地に着くジタンを見かねて、サラマンダーは慎重にフライヤの後を追った。
「世話のやける奴だぜ、まったく」
ジタンは無言。前しか見ていない。
そして唐突に力が抜けたように、しかし確実にゆらりと大きく一歩を踏み込む。
翻る、悪趣味な天馬のような生物の角。間違いなく、向かっていくジタンを狙っている。
咄嗟にライジングサンを放ったが、完全に防ぐことは出来なかった。
ジタンの頬から、鮮血が舞う。
それでも突進を止めないジタンが、右手のオリハルコンを両手で持ち変え魔物の脚に突き立てた。
もう一本ある筈のオリハルコンは、かなり手前に抜き身で転がっていた。
ひるんだ魔物の首筋にフライヤの槍が突き刺さり、敵は音も無く崩れ落ちた。


 しばしの沈黙。
このままではいつまでも黙っていそうなジタンを見て、仕方なく口を開いたのはフライヤであった。
「一人で行くなどと……。無謀にも程があるのではないか?」
「……」
またしても、ジタンは無言。
俯いたまま、短剣を拾い上げ鞘に仕舞うと、無造作に腕で頬の傷を拭う。
いつかはこうなるかもしれないと危惧していた未来が最悪の形で具現化したことに、
どうしようもない眩暈を覚えながらサラマンダーもうめく。
「人にはおせっかいやいといて、てめえは自分だけですべて解決か?」
「助けてもらわなくてもあれくらいの敵、ひとりでなんとかなるさ……」
――なんとかなる、だと?
確かに、なんとかなることはなるだろう。しかし、それは今までと同じことを意味しているのではない。
敵は、確かに倒れるだろう。だが、そのときジタンが立っていられる保証は無い。
戦って、戦って、戦って、そしていつかはジタンもまた………死ぬ。
「待たぬか、ジタン!!」
もう話は終わりだとばかりにこちらに背を向け、ジタンは扉を開いた。
復活した凄絶な気を纏ったその姿に、二人が返せたのは沈黙だけだった。


「ジタン…あやつ………」
ようやくフライヤが嘆息と共に一言の呟きを洩らすことが出来たのは、ジタンが去ってからかなりの時間が流れてからだった。
何か仕掛けがあるらしく、扉も開かない。
出来るのは、ただ待つことのみ。
――…あの馬鹿……
誰かを守る。誰かの為に戦う。
背に負うものは、ただひたすらに大きい。
だが、背に負うものが自分の背を支えているのだということに、まだ気付いていない。
ここにもその呪縛を背負った者がいるというのだから、
サラマンダーにはジタンの行動は両刃の剣を掲げる剣士の姿にも、よく出来た皮肉にも見えた。
「サラマンダー、どうにかならんのか?」
「……あいつ次第だ。扉は開かないんだろう?」
自らの思考の中心に居た竜騎士に話しかけられたが、今自分たちにはどうしようもないことを確認することしか出来ない。
――……似ている
そう、どうしようもなく似ているのだ。あの盗賊の少年と、この竜騎士の女は。
渦を巻く苛立ちに任せて、思いはそのまま言の葉へと化けた。
「………いつかお前もああなるかもしれない……」
「? 何じゃ? また似ておるだのといった話か? 今は冗談を…」
「違う。騎士がなんだとか言ってるばっかりじゃ、いつかは重荷になり過ぎてどうにも身動きが取れなくなるぞ」
「……」
――言い過ぎたか……?
またも訪れた沈黙。だが、自分にはどうにもできない。自分が呼んだのだから。

その時だった。

正面の、ジタンが出て行った扉が、軋む音を立ててゆっくりと開いたのは。

――!?
「サラマンダー、フライヤ、二人とも無事か?」
飄々と言ってくれるのは、つい数十分前にここを後にしたジタンである。
勿論のこと同じ人物ではあるが、その毒気の抜けた表情や仕草を見る限り、先ほどの凄絶な眼差しはとても想像出来なかった。
頬の裂傷もきれいに治っている。
その後ろにいるらしいスタイナーとクイナの声も聞こえ、サラマンダーは思わず体から力が抜けるのを感じた。
やってくれたものだ。腹が立つようで、何故か無性に笑い出したい気分だった。
「ジタン! この、心配させおって!!」
隣にいたフライヤも、喜びが驚きを呑みこんだような声を発する。
紛れも無い、今まで何度となく見、そして救われてきたジタンであった。
「悪い悪い。さあ、エーコとビビも連れて、親玉倒しに行こうぜ!」
俄然、やる気の篭った声を上げるジタンの真横には、まるでその背中を支える翼のように立つダガーの姿があった。
――本当に、やってくれる……
先ほどとは打って変わって、なんだか自分でも説明できないような感情が脳裏に満ちる。
サラマンダーは現場復帰したリーダーの後に続きながら、半ば贖罪のつもりでフライヤに呟いたのだった。
「………ああいう騎士と姫も、ありだってこった…」
「!?…………ふふ、礼を言うぞ、サラマンダー………」
――知らん
そう言って先頭を行く姫と騎士――実は誘拐犯――の様子を眺めるフライヤは、母が子をあやすような微笑を浮かべていた。
やはり慣れないことはするものではないとまたしても後悔しつつ、
これを馴れ合いと呼ぶのなら、それもいいかとサラマンダーは心の隅で思ったのだった。


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